三吉慎蔵の特別展の会期も、残り僅か(12月26日まで)となりました。
資料紹介も今回が最終回。最後は、慎蔵の人となりとその功績を、短文にして見事にまとめた林洋三の悼辞です。
洋三は、沈勇寡黙にして堅忍不抜の慎蔵を、孫子の云う「不動若山(うごかざることやまのごとし)」の「山」に例えながら、その功労を称え、末尾に「長洲之山」と締めくくっています。日々努力を積み重ね、数々の試練を乗り越えた慎蔵は、周囲の者たちにとって、どっしりと構えて何事にも動じない、山のような存在だったのでしょう。
ちなみに、林洋三は、慎蔵より一つ年下の天保3年(1832)生まれ。藩政時代は側儒(藩主側に仕える儒者)を務め、元治元年(1864)には、功山寺で決起した高杉晋作の馬前に立ちはだかり、長府藩領の通過を阻んだという話も残っています。
維新後は、長府毛利家の家史編纂、また、明治19年(1886)からは、豊浦小学校の校長(初代)を務めました。
※最後までお付き合いいただき、有難うございました。
この記事を表示