海峡に育まれた下関の歴史と文化
-海峡の歴史に未来が見える​-
 
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NEWS

2026-04-01 研究紀要第4号公開のお知らせ
歴史博物館公式ホームページの「活動案内」で、研究紀要の第4号を公開しました。今回は、研究と資料紹介を1本ずつ掲載しています。ご自由にダウンロードしていただけますので、ぜひご覧ください。
2026-04-01 企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介4
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。今回は「坂本龍馬書状三吉慎蔵宛慶応3年3月20日」です。慶応2年(1866)1月に成立した薩長盟約。その主な内容は、幕長戦争及び長州藩の復権において、薩摩藩が長州藩に協力すること、そして、長州藩の復権が成し遂げられた後、両藩が協力して朝廷の権威を高めることを目指すというものでした。薩摩藩は盟約に従い、慶応2年6月に幕長戦争が開戦すると、京摂間への派兵などを実行。その後も長州復権に向けて活動しています。本資料は、慶応3年3月20日、下関に滞在していた坂本龍馬が長府藩士三吉慎蔵に宛てた書状です。西郷隆盛の動向などについて記しています。...
2026-03-17 企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介3
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。今回は「長府藩達書」です。薩長和解・提携に向けた多くの志士たちの尽力が実を結びつつあった、慶応元年(1865)12月。京都での薩長会談に臨む木戸孝允の要請を受け、下関から上京することとなった坂本龍馬は、長府藩士の同行を依頼。この時、選出されたのが三吉慎蔵でした。慶応2年1月1日、時勢探索の藩命を受けた慎蔵は、下関の福永専助宅で龍馬と初対面。議論の後、即時上京することに決し、船を待って下関を出発します。京都までの道中、同地では龍馬らに対する探索が厳しくなっていることを聞かされますが、二人は危険を承知で入京を決意。先に龍馬が入京し、2...
2026-02-25 企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介2
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。今回は「木戸孝允書状時田少輔宛」です。本資料は、慶応元年(1865)閏5月3日、萩藩士の木戸孝允が、長府藩士の時田少輔に宛てた書状です。書状が書かれる以前の慶応元年5月、時田は、藩命により、長州から移転して太宰府に滞在する5人の公家に面会するため、萩藩の楫取素彦とともに同地に入りました。この時、太宰府には薩摩藩の意向の元、薩長和解に向けた活動を開始した坂本龍馬が訪れていました。時田と楫取は偶然にも、龍馬と面会。時勢を論じる中で薩長和解の件に及んだといい、下関での龍馬と木戸の会談案が持ち上がります。時田は、帰国後木戸にこのことを報せ...
2026-02-03 企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。今回は「東久世通禧書」です。東久世通禧は、文久3年(1863)8月18日、京都で過激な攘夷派が排除される政変が起こった後、長州へ落ち延びた七人の公卿(七卿)のひとりです。本資料は後年に記したもので、薩長の和解(薩長連衡)に功績のあった福岡藩を称えています。元治元年(1864)7月、幕府による長州藩への征討(第一次長州征討)が起こると、福岡藩は内戦の回避、長州藩の救済に向けていち早く活動を始めました。長州藩内で征討の対応にあたっていた岩国吉川家と接触した福岡藩は、長州藩が恭順の意を示せば征討の穏便な解決に協力する意思を示していた薩摩...
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