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<title>SHIMOHAKU Web Site（ブログ）</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/</link>
<description>下関の歴史遺産のネットワーク化をはじめ、市民とともに創り育てる博物館を目指します。</description>
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<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:rights>Copyright2026</dc:rights>
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<title>SHIMOHAKU Web Site（ブログ）</title>
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<description>下関の歴史遺産のネットワーク化をはじめ、市民とともに創り育てる博物館を目指します。</description>
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<title>開館10周年記念来館記念状</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260402102012.html</link>
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<![CDATA[ 
平素より博物館をご利用いただき誠にありがとうございます。<br />
おかげさまで、本年11月18日には開館10周年を迎えることとなりました。<br />
これを記念した来館記念状を4月1日より販売開始いたしました。今年度限りの特別バージョンです。<br />
<br />
販売期間は令和9年3月31日までとしておりますので、ご留意ください。<br />
<br />
<br />
<img alt="来館記念状10" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260402101705.jpg" style="width: 500px; height: 684px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" />
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<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
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<dc:date>2026-04-02T10:17:17+09:00</dc:date>

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<title>研究紀要第4号公開のお知らせ</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260401135846.html</link>
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<![CDATA[ 
歴史博物館公式ホームページの「活動案内」で、研究紀要の第４号を公開しました。<br />
<br />
今回は、研究と資料紹介を１本ずつ掲載しています。<br />
<br />
ご自由にダウンロードしていただけますので、ぜひご覧ください。
 ]]>
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<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-04-01T13:53:12+09:00</dc:date>

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<title>企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介4</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260401101118.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。<br />
今回は「坂本龍馬書状 三吉慎蔵宛 慶応3年3月20日」です。<br />
<br />
<img alt="坂本龍馬書状" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260401100526.jpg" style="width: 500px; height: 313px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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慶応2年（1866）1月に成立した薩長盟約。その主な内容は、幕長戦争及び長州藩の復権において、薩摩藩が長州藩に協力すること、そして、長州藩の復権が成し遂げられた後、両藩が協力して朝廷の権威を高めることを目指すというものでした。<br />
薩摩藩は盟約に従い、慶応2年6月に幕長戦争が開戦すると、京摂間への派兵などを実行。その後も長州復権に向けて活動しています。<br />
<br />
本資料は、慶応3年3月20日、下関に滞在していた坂本龍馬が長府藩士三吉慎蔵に宛てた書状です。西郷隆盛の動向などについて記しています。<br />
この頃、西郷らは、兵庫開港・長州処分の問題に関して将軍徳川慶喜と有力諸侯による会談を計画。幕府の政策の誤りを衝き、最終的に政治・外交の権限を、朝廷を中心とする有力諸藩の合議体に移管することを画策していました。本資料では、西郷が土佐藩を訪ねて前藩主山内容堂の同意を得たこと、薩摩藩の島津久光が京都に向かう予定であることなどが書かれており、「西郷も此度ハ必死覚ごのよし」（西郷も今回は必死の覚悟である）と報じています。<br />
<br />
本資料をはじめ、この頃に龍馬が慎蔵に送った手紙には、薩摩藩の動向や同藩士から仕入れた情報が伝えられたものが多くあります。薩摩藩によって盟約が順守されていることや、その状況が長府藩士に逐一伝えられていた様子がうかがえます。
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<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-04-01T10:05:39+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介3</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260317144340.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。<br />
今回は「長府藩達書」です。<br />
<br />
<img alt="長府藩達書" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260317143752.jpg" style="width: 500px; height: 321px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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薩長和解・提携に向けた多くの志士たちの尽力が実を結びつつあった、慶応元年（1865）12月。京都での薩長会談に臨む木戸孝允の要請を受け、下関から上京することとなった坂本龍馬は、長府藩士の同行を依頼。この時、選出されたのが三吉慎蔵でした。<br />
慶応2年1月1日、時勢探索の藩命を受けた慎蔵は、下関の福永専助宅で龍馬と初対面。議論の後、即時上京することに決し、船を待って下関を出発します。<br />
京都までの道中、同地では龍馬らに対する探索が厳しくなっていることを聞かされますが、二人は危険を承知で入京を決意。先に龍馬が入京し、21日に薩長盟約の締結を見届けると、伏見の寺田屋で待つ慎蔵のもとへと走りました。<br />
龍馬が戻ったのは23日。翌日の入京を慎蔵と約し、就寝しようとしていたところで、二人は幕吏の襲撃を受けます（寺田屋事件）。慎蔵は手槍、龍馬は銃で応戦し、辛くも寺田屋を脱出。材木置き場に身を隠した後、慎蔵が伏見の薩摩藩邸に走り、負傷した龍馬の救出に成功しました。寺田屋事件後の慶応2年2月、慎蔵は薩摩藩の西郷隆盛に招かれて龍馬とその妻お龍とともに京都の薩摩藩邸に入り、情勢等の情報入手に努めています。<br />
<br />
慶応2年3月8日、前日に下関に戻った慎蔵は勝山御殿に登り、長府藩主及び重役に京師之事情（京都情勢）や薩長和親、伏見での遭難（寺田屋事件）について報告。時勢探索の藩命を達しました。本資料では、藩府より、伏見における慎蔵の奮闘が称えられ、20石の加増を申渡されています。
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<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-03-17T14:38:00+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介2</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260225092735.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。<br />
今回は「木戸孝允書状 時田少輔宛」です。<br />
<br />
<img alt="木戸孝允書状" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260225092256.jpg" style="width: 500px; height: 119px; float: left; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
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本資料は、慶応元年（1865）閏5月3日、萩藩士の木戸孝允が、長府藩士の時田少輔に宛てた書状です。<br />
<br />
書状が書かれる以前の慶応元年5月、時田は、藩命により、長州から移転して太宰府に滞在する5人の公家に面会するため、萩藩の楫取素彦とともに同地に入りました。この時、太宰府には薩摩藩の意向の元、薩長和解に向けた活動を開始した坂本龍馬が訪れていました。時田と楫取は偶然にも、龍馬と面会。時勢を論じる中で薩長和解の件に及んだといい、下関での龍馬と木戸の会談案が持ち上がります。<br />
時田は、帰国後木戸にこのことを報せて、龍馬との面会を勧め、また、楫取とも連絡を取り合い調整役を務めました。今回紹介した木戸の書状は、この頃に時田に送られたもので、時田より坂本龍馬の下関入りを報じられた木戸が、下関へ向け出発する旨を記しています。<br />
慶応元年閏5月6日、龍馬・木戸・土佐藩の土方久元が下関で会談し、時田もこれに立ち会いました。龍馬より薩摩藩の意向を聞いた木戸は、中岡慎太郎が鹿児島から連れてくる予定の西郷隆盛を下関で待つこととなります。<br />

 ]]>
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<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-02-25T09:24:59+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展「薩長盟約と長府藩」資料紹介</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260203131846.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
開催中の企画展「薩長盟約と長府藩」より、注目資料をご紹介します。<br />
今回は「東久世通禧書」です。<br />
<br />
<img alt="東久世書" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260203131513.jpg" style="width: 400px; height: 796px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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東久世通禧は、文久3年（1863）8月18日、京都で過激な攘夷派が排除される政変が起こった後、長州へ落ち延びた七人の公卿（七卿）のひとりです。<br />
本資料は後年に記したもので、薩長の和解（薩長連衡）に功績のあった福岡藩を称えています。<br />
<br />
元治元年（1864）7月、幕府による長州藩への征討（第一次長州征討）が起こると、福岡藩は内戦の回避、長州藩の救済に向けていち早く活動を始めました。<br />
長州藩内で征討の対応にあたっていた岩国吉川家と接触した福岡藩は、長州藩が恭順の意を示せば征討の穏便な解決に協力する意思を示していた薩摩藩との間を周旋。また、征討の終結にあたって課題となった五卿（七卿の内五人）の長州からの移転問題の対処に奔走し、下関や長府を訪れて反対していた長州藩諸隊を説得しました。福岡藩の行動は、第一次長州征討の穏便な解決に繋がり、後の薩長和解・提携のきっかけのひとつともなります。
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<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-02-03T13:15:38+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展「薩長盟約と長府藩」開幕</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260123144627.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
1月23日（金）より、企画展「薩長盟約と長府藩」が始まりました。<br />
<br />
慶応2年（1866）1月、京都において成立した薩長盟約。朝敵となり、幕府と対立していた長州藩を薩摩藩が支援することなどを定めたこの盟約は、長州藩にとって大きな後ろ盾となっただけでなく、王政復古の実現、倒幕へと続く明治維新の画期をなす出来事でした。<br />
本展示では、薩長和解・提携の過程を追うとともに、長府藩士や下関との関りについて紹介します。<br />
<br />
関連講座の申込みも受付中です。ご希望の方は、当館受付またはお電話でお申し込みください。<br />
※詳細は展示情報のページをご覧ください<br />

 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-01-23T14:44:39+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」終了</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260119131636.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」は昨日で閉幕となりました。<br />
<br />
<img alt="喜怒哀楽入口" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251121090806.jpg" style="width: 250px; height: 297px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
ご観覧いただいたみなさま、ありがとうございました。<br />
主な資料の図版や解説を載せたパンフレットや関連講座「初代清末藩主毛利元知の手紙を読む」資料は、当館受付と公式ＨＰにて販売していますので、ぜひご覧ください。<br />
次回企画展「薩長盟約と長府藩」は1月23日（金）からスタートしますのでお楽しみに。
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-01-19T13:12:41+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」出品資料紹介３</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260112110641.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」出品資料紹介です。<br />
<br />
<img alt="能(1)" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260112105910.jpg" style="width: 370px; height: 275px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
<img alt="能(2)" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/260112105922.jpg" style="width: 370px; height: 247px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
こちらは初代清末藩毛利元知が家臣に送った手紙。今回初公開となります。元知は長府の忌宮神社へ能を見物しに行くようですが、なぜかそれを内密にするようにと指示しています。<br />
理由は、長府へ行くことがバレると長府藩主の毛利綱元から色々なもてなしを受けるからだといいます。そうなると相手をするのが大変で、途中までしか能を見物出来なくなるそうです。それが嫌なので、わざわざ忍んで長府へ出かけようとしているのです。<br />
ちなみに綱元は4歳で長府藩主に就任しているのですが、その後見をしてくれたのが叔父にあたる元知です。綱元は、大恩ある元知をもてなしたい一心なのでしょう。<br />
もてなしたい綱元ともてなされたくない元知のせめぎ合いが垣間見える微笑ましい手紙です。
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-01-12T11:00:23+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>収蔵品データベースを公開しました</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog260106135121.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
下関市立歴史博物館の収蔵品データベースを公開しました。<br />
キーワードや資料名から、当館の収蔵品を検索することができます。<br />
<br />
現在、寄託資料など一部資料は準備中のため検索対象外となっていますが、今後随時情報や画像を追加する予定です。<br />
以下のリンク、またはHPトップ左側のバナーよりご覧ください。<br />
<br />
<a href="https://jmapps.ne.jp/shimohaku_01/index.html">https://jmapps.ne.jp/shimohaku_01/</a><br />

 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2026-01-06T13:49:31+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」出品資料紹介２</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251221090704.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」出品資料紹介です。<br />
<br />
<img alt="元就小幡宛" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251221090524.jpg" style="width: 444px; height: 250px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
こちらは、陣中の毛利元就が城で待っている継室の小幡氏に送った手紙。冬に送られたようで、寒い思いをしていないだろうかと心配しています。小幡氏に送られた手紙はこの他にも遺されており、「早くあなたの下に帰りたい」「帰ったら何でも望みを叶えてあげましょう」など元就の思いやりがあふれています。<br />
なお、元就には小幡氏を含めた3人の継室がいましたが、みんな仲が良く、協力して元就を支えていました。元就の活躍は、彼女たちの支えあってこそのものだったのでしょう。
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-12-21T09:06:05+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」出品資料紹介１</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251207092815.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」出品資料紹介です。<br />
<br />
<img alt="隆景書状全" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251207092645.jpg" style="width: 339px; height: 100px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
こちらは毛利一族の小早川隆景が、家臣の井上春忠と粟屋盛忠に送った手紙。小次郎という若い家臣が仕事を怠けていると批難し、10日ほど縁を切ると述べています。<br />
春忠と盛忠は若い頃から隆景に仕え、高く評価されていた家臣です。隆景によると、盛忠は最近の者が10人でやる仕事を1人でこなしていたそうです。<br />
<br />
<img alt="隆景書状" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251207092101.jpg" style="height: 300px; width: 370px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
そんな2人に比べると、小次郎の働きが物足りなかったのでしょう。本当に小次郎が不甲斐なかったのか、隆景の求めるレベルが高すぎたのかは分かりませんが、いつの時代にも「最近の若者は～」という愚痴はあったようです。
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-12-07T09:21:09+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」開幕</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251121090942.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
本日から特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」が始まります。<br />
<img alt="喜怒哀楽入口" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251121090806.jpg" style="width: 300px; height: 356px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
戦国時代や江戸時代に交わされた毛利家の人々の手紙を分かりやすく紹介します。初公開となる資料も出品されます。<br />
当館ＨＰのブログや、公式ＳＮＳでは注目資料や見どころを発信しますので、こちらもぜひお見逃しなく！<br />
<br />
<img alt="喜怒哀楽チラシ表" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251007101820.jpg" style="width: 150px; height: 212px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><img alt="喜怒哀楽チラシ裏" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251007101834.jpg" style="width: 150px; height: 212px; border-width: 0px; border-style: solid;" />
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-11-21T09:04:15+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」閉幕</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251117174213.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」は、11月16日をもって終了いたしました。<br />
展示室で多くの方の思い出話をうかがうこともでき、充実した展示となりました。ご観覧・ご協力いただき、ありがとうございました。<br />
もし見逃してしまったという方は、図録を販売しておりますので刊行物・グッズのページをご覧ください。<br />
 <br />
次回の展示は、特別展「手紙で辿る毛利家の喜怒哀楽」です。11月21日の開幕をお楽しみに！
 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-11-17T17:40:05+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」資料紹介6</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251113100421.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」より、注目資料を紹介します。<br />
今回は「関門橋工事アルバム」です。<br />
 <br />
関門橋は、昭和43年に起工。開通したのは、昭和48年11月14日のことです。<br />
本資料は、基礎工事が始まった昭和44年頃から開通する昭和48年までの現場写真や、関連記事などを全15冊にまとめたアルバム。当時長府在住であった一個人の手によるもので、市民が見た関門橋建設時の状況を詳しく知ることができます。<br />
<br />
<img alt="橋塔" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251113095350.jpg" style="width: 400px; height: 272px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
<br />
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<img alt="ワイヤーロープ" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251113095541.jpg" style="width: 400px; height: 274px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
<br />
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<img alt="ドッキング前" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251113095444.jpg" style="width: 400px; height: 264px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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<br />
アルバムに収められた写真や記事の中には、橋に関連した周辺の地域状況を写したものもあります。<br />
こちらは、橋の開通で客が増えることを予想してオープンしたというレストランの写真。屋根に飛行機が乗った奇抜な外観が目を惹きます。<br />
<br />
<img alt="レストラン飛行機" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251113095729.jpg" style="width: 400px; height: 278px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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また、開通直前には1日歩行者天国のイベントが催され、下関市と北九州市から約1万8000人が参加しました。<br />
<br />
<img alt="１日歩行者天国" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251113095617.jpg" style="width: 400px; height: 262px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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現在、海峡のシンボルとなっている関門橋に関する様々なエピソードも知ることができる貴重な資料です。<br />
会期も残り僅かとなりましたが、ぜひ展示室でご覧ください。<br />
 
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</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-11-13T09:57:35+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」資料紹介5</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251107130456.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」より、注目資料を紹介します。<br />
今回は「下関商業高等学校野球部甲子園優勝記念パレード写真」です。<br />
<br />
<img alt="甲子園パレード" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251107130123.jpg" style="width: 500px; height: 392px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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下関市後田町にある下関商業高等学校は、明治時代に創立され、現在も多くの生徒が学んでいます。<br />
同校は野球部の活躍でも知られており、戦前から複数回甲子園に出場。昭和14年（1939）には夏の大会で準優勝するなど好成績を残していました。<br />
昭和16年、戦争の影響により、大会も中止されましたが、昭和21年に再開されると、下商野球部は西宮球場で行われた全国大会に進出し、その後も複数回、甲子園に出場。昭和38年の春の大会で、初優勝を成し遂げました。<br />
 <br />
本資料は、この時、下関で行われた優勝記念パレードの様子を写したものです。唐戸市場にて撮影されており、道や市場にかかっていた太鼓橋に多くの人が詰めかけています。<br />
 <br />
前回、下関で誕生したプロ野球球団大洋ホエールズを紹介しましたが、高校野球もまた当時の下関を大いに盛り上げました。
 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-11-07T13:01:28+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」資料紹介4</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251028111844.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」より、注目資料を紹介します。<br />
今回は「セントラルリーグメンバー表」（個人蔵）です。<br />
 <br />
<img alt="セリーグメンバー表" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251028111518.jpg" style="width: 450px; height: 573px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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プロ野球がパシフィックリーグとセントラルリーグの2リーグ制となった最初のシーズンである昭和25年（1950）、セリーグのチームを紹介した冊子です。日本各地の8つのチームが掲載されていますが、下関には「Whales」の文字が見えます。<br />
 <br />
ホエールズは、昭和24年（1949）、下関を拠点にしていた水産会社大洋漁業によって設立されたプロ野球チームです。<br />
同社は前身の林兼商店時代から、ノンプロの野球部を作っていましたが、この年プロ野球に参入。<br />
当初はまるは球団ホエールズの名称でしたが、シーズン開幕後に大洋ホエールズと改めています。<br />
チームには下関商業出身の平山菊二や高野裕良など、地元の選手も参加し、市民に親しまれました。<br />
 <br />
昭和30年には、拠点を川崎に移転。下関を拠点としたのは僅かな期間でしたが、昭和35年にホエールズがリーグ優勝した際には、下関で盛大なパレードが開かれました。チームは現在横浜DeNAベイスターズとなって活躍していますが、その原点は下関にあったのです。
 ]]>
</description>
<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-10-28T11:15:36+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」資料紹介3</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251018114751.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」より、注目資料を紹介します。<br />
今回は「関門国道トンネル開通記念煙草パッケージ」（下関市烏山民俗資料館蔵）です。<br />
 <br />
<img alt="国道トンネル煙草" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251018114454.jpg" style="width: 500px; height: 312px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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昭和33年（1958）3月、関門国道トンネルが開通。本資料は、これを記念して発売された煙草のパッケージです。車道と人道の二層構造となっているトンネルが描かれ、周りを泳ぐ魚が海底トンネルをイメージさせています。フグに見える丸い魚が、関門海峡らしいですね。<br />
 <br />
関門間では昭和17年に、関門鉄道トンネルが開通しましたが、これ以前から道路トンネル建設を望む声は多く、自動車交通の発達に伴って期待が高まりました。<br />
昭和12年、内務省が調査を開始した頃より事業が本格化。同14年に起工し、昭和19年には導坑が開通しましたが、、翌年戦災により工事が中断します。再開は同27年で、21年の月日を経た昭和33年、開通・供用開始となりました。<br />
 <br />
完成から今年で67年。開通直後、1日2000台ほどであった通行量は、現在では25000台程度まで増加しています。
 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-10-18T11:44:59+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」資料紹介2</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog251010092753.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」より、注目資料を紹介します。<br />
今回は「勝山警防分団日誌」です。<br />
<br />
<img alt="警防分団日誌1" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251010092039.jpg" style="width: 500px; height: 333px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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昭和14年（1939）、消防や、戦時下の空襲対策等を行う組織として、下関警防団が発足。市内の各警察署（下関・豊浦・水上警察）管内ごとに3団編成され、その下に13の分団が置かれました。<br />
本資料は、このうち勝山警防分団の日誌。昭和14年から終戦後の昭和22年までの地域の様子が綴られた貴重な資料です。<br />
 <br />
本資料を見ると、警防分団では結成直後より、灯火管制訓練や防空訓練などが行われています。<br />
日本本土への空襲が本格化したのは、昭和19年～20年にかけてでしたが、早い段階で空襲が警戒され、市内でも対策が練られていました。<br />
<br />
<img alt="警防分団日誌2" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/251010092108.jpg" style="width: 500px; height: 371px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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昭和20年6月29日条には、下関市街への空襲が記されています。<br />
同日午前1時頃、壇之浦上空に現れたB29が市街への焼夷弾攻撃を開始。同町から赤間町、唐戸、東南部町方面が被害を受けました。さらに、7月2日午前0時頃、再び大空襲に見舞われ、中心市街の大部分が被災しています。死者は約320名、負傷者は約1000人、家屋の消失など被害を受けた市民はおよそ45000人に上りました。
 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-10-10T09:22:26+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」資料紹介</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250930093054.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
昭和100年記念特別展「思い出の下関」より、注目資料を紹介します。<br />
今回は「市街電車乗車券」です。<br />
<br />
<br />
<img alt="市街電車乗車券" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250930091713.jpg" style="width: 500px; height: 181px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /> <br />
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昭和元年（1926）12月、山陽電気軌道株式会社によって市街電車の運行が開始されました。最初に運行された区間は長府松原―壇之浦間で、料金も安く、電車という目新しさもあって多くの乗客を獲得したといいます。続いて昭和3年に松原―鳥居前駅間が開通。昭和4年までには幡生―唐戸間が全通し、昭和13年までに、鳥居前―長府駅間、壇之浦―唐戸間、唐戸―細江間が開通しました。<br />
 <br />
<img alt="市街電車と水族館" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250930091853.jpg" style="width: 500px; height: 357px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /><br />
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戦後も西細江―彦島口間が整備されるなど拡張は続き、市街電車は市民の足として多くの人に親しまれました。昭和33年のピーク時には年間2,470万3793人が利用したことが記録されています。<br />
 <br />
昭和40年代以降、自動車の普及などにより利用者が減少。同44年に唐戸―長府間、下関駅―彦島口間が廃止となり、同46年にはついに全線が廃止されることとなりました。<br />
現在では見ることのできない市街電車のある景色、ぜひ展示室でご覧ください。
 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-09-30T09:25:19+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>特別展「思い出の下関」開幕</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250919145630.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
9月19日（金）より、昭和100年記念特別展「思い出の下関」が始まりました。<br />
 <br />
1926年12月の改元から、64年続いた昭和の時代。昭和16年（1941）に勃発した戦争やその敗戦、戦後の復興や経済成長などにより、政治・社会は目まぐるしく変化しました。<br />
本展は、本年が昭和1０0年にあたることを記念し、開催するものです。絵図や写真などから、昭和の下関の出来事、風景やその移り変わりを紹介し、懐かしい昭和の姿を振り返ります。<br />
ノスタルジックな展示品に、あの日の思い出を重ねてみてはいかがでしょうか？<br />
 <br />
関連講座の申込みも受付中です。ご希望の方は、当館受付またはお電話でお申し込みください。<br />
※詳細は展示情報のページをご覧ください<br />
<br />
<img alt="思い出の下関ポスター" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250919145325.jpg" style="width: 500px; height: 704px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" />
 ]]>
</description>
<dc:subject>歴史博物館</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-09-19T14:53:39+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展オススメ資料紹介(3)</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250824141305.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
皆さん、こんにちは！<br />
<br />
今回も、現在開催中の企画展「元清と輝元」のオススメ資料をご紹介したいと思います。<br />
<br />
今回ご紹介するのは、毛利元就の３男小早川隆景の手紙です。<br />
<br />
<img alt="小早川隆景書状" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250824140603.jpg" style="width: 400px; height: 251px; border-width: 0px; border-style: solid;" />　<img alt="小早川隆景書状部分" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250824140626.jpg" style="width: 60px; height: 251px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
この手紙は、毛利氏の家臣である桂広繁（ひろしげ）に宛てられたもので、隆景によれば、広繁は他の武将とともに、「当城」に攻め寄せた羽柴秀吉と戦って戦功があったといいます。<br />
<br />
なお、手紙の冒頭に「当城」と見えますが、これは現在の岡山市北区にあった加茂（かも）城のことと考えられます。<br />
<br />
この戦いの背景について、少し補足しておきましょう。<br />
<br />
当時、毛利氏は備中国（現在の岡山県西部）などで織田信長との戦いを続けており、特に信長の重臣で、この方面を担当していた羽柴秀吉に苦戦していました。<br />
<br />
秀吉は、計略によって毛利方の武将を次々に寝返らせており、広繁とともに加茂城を守っていた生石治家（おいしはるいえ）も、織田方に寝返ってしまいます。<br />
<br />
最初の方に書かれている「生石依別心」は、この治家の寝返りを指したものと思われます。<br />
<br />
広繁は、治家の寝返りに乗じて攻め寄せてきた秀吉の軍勢との戦いで奮戦しており、そのことを隆景から賞されているのです。<br />
<br />
なお、広繁は毛利元就の４男元清を補佐しており、広繁の子孫は元清の子息秀元が興した長府毛利家の重臣として存続しました。<br />
<br />
本資料は、毛利氏と織田氏の戦いの最前線の様子がわかる手紙です。ぜひ博物館で実物をご覧ください。
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-08-24T14:06:47+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展オススメ資料紹介(2)</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250802155000.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
皆さん、こんにちは！<br />
<br />
今回も、現在開催中の企画展「元清と輝元」のオススメ資料をご紹介したいと思います。<br />
<br />
<img alt="策雲玄龍書状" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250802154704.jpg" style="width: 500px; height: 242px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
今回ご紹介するのは、毛利元就やその後継者隆元から信頼された禅僧策雲玄龍（さくうんげんりゅう）の手紙です。<br />
<br />
策雲は、毛利氏の本拠である吉田郡山城の麓にあった興禅寺という寺院の住職を務め、隆元が人質として山口に赴く際には彼に同行しています。<br />
<br />
隆元は、幼い頃から関わりのあった策雲を深く信頼しており、さまざまな悩みを策雲に相談していたようです。<br />
<br />
さて、今回ご紹介するのは、その策雲が書いた手紙なのですが、この手紙は毛利元就を諫めたものとして、有名なものです。<br />
<br />
この手紙が書かれた当時、元就は当主の座を隆元に譲っていましたが、まだ若い隆元を放っておけなかったようで、色々と口出しをしていました。<br />
<br />
策雲の手紙によれば、「大殿（元就様）があまりに何事もなさってしまわれる」ために、人々は「若殿（隆元様）が、軍事にも政治にも、ご関心がない」と思ってしまっていたようです。<br />
<br />
策雲は、この手紙で「身を引いて慎まれることが大事です」と、元就に口出しを控えるよう諫言しています。<br />
<br />
元就としては、経験が不足している我が子を助けるつもりだったのでしょうが、その行為は、かえって隆元を萎縮させてしまっていたようです。<br />
<br />
人を助けるというのも、なかなか大変なことですね。<br />
<br />
この手紙は、９月１５日（月・祝）まで歴史博物館企画展示室で展示しています。<br />
<br />
諫められた元就は、隆元をどのように助けることにしたのか、ぜひ博物館で確認してみてください。<br />
 
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-08-02T15:47:31+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展オススメ資料紹介(1)</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250726142017.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
皆さん、こんにちは！<br />
<br />
今回から、現在開催中の企画展「元清と輝元」のオススメ資料をご紹介していきたいと思います。<br />
<br />
今回ご紹介するのは、戦国大名毛利元就の後継者である隆元が、幼い我が子に送った手紙です。<br />
<br />
<img alt="毛利隆元書状" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250726141428.jpg" style="width: 400px; height: 254px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
<br />
この手紙は、「幸鶴（こうつる）」に宛てられたものですが、これは隆元の長男のことで、彼はのちに輝元と名乗ることになります。<br />
<br />
輝元が生まれて間もなく、毛利氏は周防国山口を本拠にした大内氏を滅ぼしてその領国を吸収し、大きく勢力を伸ばしています。<br />
<br />
さらに毛利氏は隣国の大友氏や尼子氏と激しい争いを繰り広げ、毛利家当主であった隆元は父や弟たちとともに各地を転戦する忙しい日々を送りました。<br />
<br />
まだ幼い我が子とゆっくりする時間がもてなかった隆元は、折にふれて各地の名産品などとともに息子に手紙を送っています。<br />
<br />
この手紙は、輝元に近況を尋ねつつ、近々会うことができると伝えただけの簡単な内容ですが、なかなか一緒に過ごす時間がなかった我が子に対する愛情がうかがえるものといえます。<br />
<br />
しかしながら、輝元が11歳の時に隆元は急死してしまい、輝元は若くして毛利家当主となり、祖父や叔父たちに厳しく指導されながら、成長していくことになりました。<br />
<br />
戦国時代を生きた父子の交流が垣間見える手紙ですので、ぜひ博物館でご覧ください。
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-07-26T14:14:38+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展「元清と輝元」開幕！</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250704110143.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
皆さん、こんにちは！<br />
<br />
本日から下関市立歴史博物館の企画展「元清と輝元」が開幕しました。<br />
<br />
今年は、戦国大名毛利元就の孫で、関ヶ原の合戦で西軍の総大将をつとめた毛利輝元が没して４００年にあたります。<br />
<br />
輝元は、元就とともに長府に滞在するなど、下関にも縁のある武将であり、歴史博物館には輝元ゆかりの資料が多数収蔵されています。<br />
<br />
今回の企画展では、輝元と彼を支えて天下人たちと対峙した叔父元清にスポットをあてつつ、子どもや孫に対する元就の教育方法も紹介しています。<br />
<br />
この機会に、ぜひ歴史博物館にご来館ください。<br />
<br />
また、このブログで展示資料の紹介なども行いたいと思いますので、お楽しみに！
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-07-04T10:49:51+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>企画展「西国一の大港を支えた商人たち」終了</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250630133403.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
企画展「西国一の大港を支えた商人たち」は、昨日で閉幕となりました。<br />
ご観覧いただいたみなさま、ありがとうございました。<br />
主な資料の図版や解説を載せたパンフレットは、引き続き当館受付や<a href="page0103.html">公式HP</a>にて販売します（200円）。7ページとコンパクトではありますが、江戸時代の赤間関の図面や、赤間関の大発展を支えた問屋や廻船についても解説しています。展示を見逃した方はぜひご覧ください！
 ]]>
</description>
<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-06-30T13:32:44+09:00</dc:date>

</item><item>
<title>歴史マップお助け講座</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250623144427.html</link>
<description>
<![CDATA[ 
歴史マップを作る6年生や、歴史を学びたい小～中学生に向けて、学芸員が下関の歴史や史跡を紹介します。<br />
↓ チラシはこちら<br />
<a href="//img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250623144132.pdf"><img alt="R7夏休みチラシ" src="https://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/css/img/data_pdf.gif?f=250623144132" style="width: 30px; height: 34px; border-width: 0px; border-style: solid; float: left;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
＜講座タイトル＞<br />
講座(1)源平最後の決戦―壇ノ浦の合戦―編<br />
講座(2)長府に築かれた幻の城―串崎城―編<br />
講座(3)幕末の戦い―下関戦争―編<br />
 <br />
＜対象＞<br />
オリジナル歴史マップを作成する市内小学校6年生<br />
歴史を学びたい小～中学生<br />
※保護者同伴可能<br />
 <br />
＜開催日＞<br />
令和7年7月26（土）<br />
　10：00～10：45 講座(1)源平最後の決戦―壇ノ浦の合戦―編<br />
　11：15～12：00 講座(2)長府に築かれた幻の城―串崎城―編<br />
    13：30～14：15 講座(3)幕末の戦い―下関戦争―編<br />
<br />
令和7年7月31日（木）<br />
　10：00～10：45 講座(2)長府に築かれた幻の城―串崎城―編<br />
　11：15～12：00 講座(3)幕末の戦い―下関戦争―編<br />
    13：30～14：15 講座(1)源平最後の決戦―壇ノ浦の合戦―編<br />
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※同じ講座を2回行います<br />
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＜場所＞<br />
　下関市立歴史博物館（下関市長府川端2丁目2番27号）<br />
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＜料金＞<br />
　無料（保護者の方は別途展示観覧料がかかる場合があります）<br />
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＜参加方法＞<br />
　要予約／電話または歴史博物館受付にてお申し込みください<br />
　受付期間：7月3日（木）9時30分より受付開始<br />
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＜定員＞<br />
　1講座8組（1組3人まで）<br />
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＜予約・お問い合わせ＞<br />
　下関市立歴史博物館 TEL：083-241-1080
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<dc:subject>歴博イベント</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-06-23T14:41:48+09:00</dc:date>

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<title>企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介５</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250621150838.html</link>
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<![CDATA[ 
企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介です。<br />
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<img alt="観音像" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250621150630.jpg" style="width: 400px; height: 460px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
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こちらは、高杉晋作が臨終の際まで肌身離さず持っていたとされる観音像。妻のまさが後年に語った話によると、高杉は「天満宮様」と「観世音様」を厚く信仰していたといいます。生前には、「死しても天満宮の如く相成り、赤間関之鎮守と相成り候志(天神様となった菅原道真のように、自分は死んでも赤間関の守り神となるつもりだ)」と語っていました。<br />
この観音像は、高杉が最期を迎えた伊崎新地の林家に形見として伝えられました。<br />
林家は、江戸時代の中頃に大坂から伊崎新地に移り住み、庄屋を務めるとともに酒造業も営みました。幕末には高杉や伊藤博文らと交流を持ち、彼らを経済的に支援することもありました。
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<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-06-21T15:06:40+09:00</dc:date>

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<title>企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介４</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250615091428.html</link>
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<![CDATA[ 
企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介です。<br />
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<img alt="買仕切" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250615091246.jpg" style="width: 500px; height: 209px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
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こちらは、現在の山口市秋穂町の地主だった小林家に残された買仕切。売買した品目、数量、代金などが記されており、売主である赤間関の問屋松尾寅三から、買主である小林家の廻船住福丸に渡されました。<br />
この買仕切によると住福丸は、現在の北海道の増毛郡（マシケ）、石狩市厚田（アツタ）、留萌市（ルルモツペイ）など蝦夷地産のニシンを赤間関で購入していることが分かります。これらのニシンは、西廻航路を往来する北前船によって赤間関に持ち込まれたものです。<br />
さらに、購入されたニシンは、住福丸によって九州方面に運ばれて転売されたことが分かっています。このような形で多種多様な産物が、物流の結節点である赤間関を経由して各地に運ばれていったのです。
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<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-06-15T09:12:55+09:00</dc:date>

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<title>企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介３</title>
<link>https://www.shimohaku.jp/blog250531091114.html</link>
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<![CDATA[ 
企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介です。<br />
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<img alt="ウィロー" src="http://img01.ecgo.jp/usr/shimohaku/img/250531090935.jpg" style="width: 400px; height: 240px; border-width: 0px; border-style: solid;" /><br />
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こちらは、赤間関の本陣と大年寄を務めた佐甲家に伝来したウィローパターン皿です。ウィローパターン皿とは、男女の恋の物語をモチーフにした白色陶磁器で、ウィローは柳を意味します。<br />
その物語とは、柳の木のある豪邸に住む富豪の娘が家来の青年と身分違いの恋に落ちるというもの。富豪は、娘を他の富豪と結婚させますが、結婚式当日、娘は青年とともに逃げ出しました。2人は富豪に追われながらも島へ逃げ延びます。しかし、最終的には元結婚相手が差し向けた軍勢によって命を落とすこととなりました。憐れに思った神様が2人を鳥に変えると、2羽は仲良く空の彼方へ飛んでいきます。<br />
ウィローパターン皿をよく見てみると、柳の木のある豪邸、2人を追う富豪、逃げ延びた島、2羽の鳥など物語の各場面が表現されており、18世紀のヨーロッパで大きな人気を博しました。<br />
佐甲家の人々も、この物語に想いを馳せながらウィローパターン皿を使っていたのかもしれません。
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<dc:subject>企画展示案内</dc:subject>
<dc:creator>shimohaku</dc:creator>
<dc:date>2025-05-31T09:09:42+09:00</dc:date>

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