企画展「清末毛利家」出品資料紹介。
こちらは、承応2年(1653)7月に、小田原藩主稲葉正則が江戸幕府大老へ送った書状の写しです。
この月、2代長府藩主毛利光広が、4歳の息子右京を遺して死去しており、本資料で正則は、右京への家督相続と、光広の弟である元知を分家独立させて右京の支えとすることを訴えています。
正則は、初代長府藩主毛利秀元の娘を正室としていました。元知の分家独立は、秀元の願いでもあったため、正則は親類としてその実現に奔走したのです。
親類大名の心強い支援の下、長府毛利家を支える家として、元知を初代とする清末毛利家が誕生したのでした。
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