企画展「西国一の大港を支えた商人たち」出品資料紹介です。
こちらは、高杉晋作が臨終の際まで肌身離さず持っていたとされる観音像。妻のまさが後年に語った話によると、高杉は「天満宮様」と「観世音様」を厚く信仰していたといいます。生前には、「死しても天満宮の如く相成り、赤間関之鎮守と相成り候志(天神様となった菅原道真のように、自分は死んでも赤間関の守り神となるつもりだ)」と語っていました。
この観音像は、高杉が最期を迎えた伊崎新地の林家に形見として伝えられました。
林家は、江戸時代の中頃に大坂から伊崎新地に移り住み、庄屋を務めるとともに酒造業も営みました。幕末には高杉や伊藤博文らと交流を持ち、彼らを経済的に支援することもありました。