開催中の企画展「幕末群雄伝―下関に集った志士たち―」より、注目資料を紹介します。今回は「三つ組盃 銘 下り蜘蛛」です。
本資料は、西郷隆盛が使用したと伝わる盃で、蜘蛛の柄が入っています。これは、泉に落ちた蜘蛛が流れてきた木の葉にたどりつき、一命をとりとめたという中国の故事にちなんだ図柄で、船出の祝盃として用いられたといいます。
大久保利通、木戸孝允とともに、維新三傑のひとりに数えられる西郷隆盛は、幕末に下関を数度訪れています。
元治元年(1864)の第一次長州征討の際には、征長軍の参謀として穏便な解決に尽力。征長軍の解兵条件のひとつである五卿※の移転に反発する諸隊を説得するため下関に入り、自ら諸隊の陣する長府を訪問しました。福岡・薩摩藩士らと共に反対する諸隊士の説得にあたった西郷は、諸隊の穏便な取り扱いを萩藩政府に働きかけることなどを示し、隊士らの理解を得ることに成功します。
この時、西郷が長州藩の内情や諸隊士らの国家への思いに触れたことは、長州藩に対する見方を変えるきっかけのひとつとなったようです。この頃から、西郷は長州藩との提携を考えるようになり、後の薩長盟約につながりました。
※五卿
文久3年(1863)8月18日の政変で京都を追われた7人の公家の内の5人。当時、諸隊とともに長府に滞在していた。