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特別展「花凛々と―下関ゆかりの女性たち―」資料紹介4

2023-09-06 (Wed) 10:30
開催中の特別展「花凛々と―下関ゆかりの女性たち―」より、注目資料をご紹介します。
今回は、「坂本龍馬書状 三吉慎蔵宛 慶応3年5月8日」(功山寺蔵/当館寄託)です。
 
幕末に故郷土佐を飛び出し、下関をはじめ各地で活躍した坂本龍馬。その妻として知られる女性が、楢崎龍(お龍)です。
医師であった楢崎将作の長女として京都に生まれたお龍は、元治元年(1864)に同地で龍馬と出会い、妻となりました。結婚後は、しばらく伏見の寺田屋に預けられていましたが、慶応2年(1866)1月の寺田屋事件※の際、龍馬とともに薩摩藩邸に入り、その後、薩摩、長崎へと転居。慶応3年2月には、下関に入り、阿弥陀寺町の本陣伊藤家で龍馬と暮らすこととなります。

遺言状 

本資料は、同年5月8日、お龍と暮らしていた龍馬が長府藩士三吉慎蔵に送った書状です。
いろは丸事件の解決のため下関から長崎へ向かう直前に記したもので、自らに万一のことが起こった場合を想定し、慎蔵に妻お龍の後事を頼んでいます。
 
三吉慎蔵は、寺田屋事件にて共に死地を切り抜けて以来、龍馬の親友となった人物。
龍馬はこの書状で、自分に万が一の事があった場合にはお龍を土佐送ってくれるよう慎蔵に頼み、土佐から迎えが来るまでの間は慎蔵宅で預かってほしいと記しています。
龍馬が、下関に残していくお龍の身を案じていた様子や、家族を託すほど慎蔵へ信頼を寄せていたことがうかがえます。
 
同年12月、龍馬が京都で没したという報せが下関に届くと、慎蔵は伊藤九三らと協議の上、その事実をお龍に伝えました。その後、慎蔵は遺言に従ってお龍を一時預かり、翌年土佐に送り届けています。
 
※寺田屋事件
慶応2年(1866)1月、伏見の寺田屋に宿泊していた坂本龍馬と三吉慎蔵が、幕吏による襲撃を受けた事件。両名は応戦の後、隙をついて脱出し、伏見の薩摩藩邸に匿われた。なお、この時お龍は階下からいち早く襲撃を報せ、龍馬らを援けている。
 
<翻刻>
此度出崎仕候上ハ御存の事件ニ候間、萬一の御報知仕候時ハ愚妻儀本国ニ送り返し可申、然レハ国本より家僕及老婆壱人御家まて参上仕候、其間愚妻おして尊家に御養置可被遣候よふ萬々御頼申上候 拝稽首
五月八日 龍馬
慎蔵様 左右

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