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特別展「戊辰戦争―長府藩報国隊の軌跡」資料紹介(2)

2022-09-28 (Wed) 14:50
歴史博物館にて開催中の特別展「戊辰戦争―長府藩報国隊の軌跡」より、注目資料を紹介していきます。
今回は「軍服」です。
 
本展では、新政府軍として戦いに参加した兵が着用した3着の軍服を展示しています。
 
報国軍服
















報国隊士軍服(下関市立豊北歴史民俗資料館蔵)
 
こちらは、現在の下関市豊北町出身の報国隊士大藤季吉が用いていたもの。麻製で、くるみボタンが3つついています。ボタンの内側には、江戸時代に広く流通した銭貨である寛永通宝が入っています。
大藤季吉は、北越戦争中の慶応4年(1868)6月、現在の越後国大黒村(現在の新潟県長岡市)で負傷し、翌月亡くなっています。この軍服には、裾のあたりに銃痕と考えられる破損があり、戦争の悲惨さが伝わります。
 

奇兵隊軍服





























奇兵隊士軍服(山口県文書館蔵)
 
こちらは、奇兵隊士元森熊次郎が着用した軍服。上下ともゴロフクレンと呼ばれた輸入品の布地(粗い羊毛織物)でつくられており、上着には内ポケットが設けられています。
こちらの軍服にも、上着の右肩に銃痕が見られます。元森熊次郎は、慶応4年閏4月27日、小出島(現在の新潟県魚沼市)の戦いで重傷を負い、後に亡くなりました。
 

佐賀藩士軍服






















佐賀藩士軍服(佐賀県立博物館・美術館蔵)
 
こちらは、佐賀藩士嶋神七が用いた軍服です。他の二着に比べて柔らかな生地で、裏地は鮮やかな朱色です。
嶋神七は、慶応4年6月、下野国今市(現在の栃木県)での戦いで負傷。横浜の病院で治療し、9月に佐賀に戻っています。
 
これらはいずれも新政府軍として戊辰戦争で戦った兵士の軍服ですが、それぞれのデザインや生地は異なっています。
戊辰戦争の際、新政府軍は各藩の兵士で構成されたため、軍服は統一されていませんでした。日本各地の藩兵が共に戦う戦場では、咄嗟に味方の兵を識別するのは難しかったかもしれません。そのため、戦争中の慶応4年6月、新政府は諸藩に軍服の徽章(身分を表すため服などにつける印)のひな型を提出させて、その把握に努めています。また、戦場では軍服の肩につけた袖印などによって、敵・味方が区別されていました。

戦場で実際に着用された軍服。ぜひ、展示室でご覧になり、戦いの様子をイメージしてみてください。(奇兵隊軍服は10月16日までの展示)
 

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