東行記念館常設企画展「高杉晋作をめぐる人々」にて展示中の「毛利家系図(大江朝臣系図)」です。
本資料は折本で、全長が280.5cmあります。表面には第51代平城天皇から毛利敬親の子どもまでの系図が記されています。鎌倉幕府で公文所別当(公文を取り扱う役所の長官)や政所別当(政務を執り行う所の長官)を務めた大江広元、戦国時代に中国地方や北九州の一部を支配した毛利元就、そして、高杉晋作が仕えた13代萩藩主の毛利敬親など、有名な人物の名前がいくつも見られます。
系図には、毛利敬親の名が「慶親」と記されています。一般的に知られている敬親ではなく、なぜ「慶親」なのでしょうか。系図上の「慶親」の履歴部分を読むと、「六月十八日家慶公賜慶字」と記載されています。天保8年(1837)6月18日、敬親は12代将軍徳川家慶から「慶」の字を賜り、「慶親」と改名しました。このような経緯があり、「慶親」と名乗ったのです。しかし、元治元年(1864)10月23日に官位が剥奪されると、再び敬親に戻しました。
系図の裏面には、毛利両川と称された吉川家・小早川家や支藩、そして、宍戸家・福原家などの系図が記されています。上部の写真からは、元就の四男元清(本資料には、誤って八男と記載されている)から長府藩・清末藩に分かれる変遷が読み取れます