現在開催中の企画展「壇ノ浦の合戦と阿弥陀寺・赤間宮」の展示資料から、今回は「長崎紀行」をご紹介します。
本資料は、江戸時代後期の享和2年(1802)の3月~6月、尾張(現愛知県)の商家「菱屋」の隠居吉田重房が、名古屋から長崎まで旅をした際の紀行文で、別名を「筑紫紀行」といいます。
赤間関(下関)に到着した重房は、阿弥陀寺(現赤間神宮)に参詣するのですが、この資料を見ると、阿弥陀寺で安徳天皇像や寺宝を見学する際、拝観料を納めていたことがわかります。
現代の観光地で見られるような仕組みが、江戸時代にすでにあったという点で興味深いところですが、日本における博物館のルーツの一つは、寺社仏閣の宝物館だと言われていますから、そうした意味でも注目されます。
そういえば、阿弥陀寺で解説を聞くことができた「安徳天皇縁起絵」の壇ノ浦の合戦の場面には、長府の沖から亀山八幡宮辺りまでの風景が描かれています。
阿弥陀寺で解説を聞いた旅人たちは、ひょっとしたらその後で下関を巡り、観光を楽しんだのかもしれません。
そのように考えてみると、当時の阿弥陀寺には、現代の博物館が担う観光のガイダンス施設としての役割があったのかもしれませんね。