開催中の特別展「攘夷と海峡」より、注目資料をご紹介します。
今回は「奇兵隊袖印」(山口県立山口博物館蔵)です。
袖印とは、戦いの際、服の袖(肩部分)につけた布で、所属や氏名を記し、敵・味方を見分けるなどの目的で使用されました。本資料は、奇兵隊士の柏村晋が用いたものです。
奇兵隊が結成されたのは、長州藩が下関海峡での外国船打ち払いを行った翌月である文久3年(1863)6月のこと。
同月初頭、アメリカの報復攻撃を受けた後、萩藩主毛利敬親は同藩士高杉晋作を召し出し、下関の防備再編を命じました。直ちに当地へ入った晋作は、攘夷実行のために集まっていた浪士らを集め、奇兵隊を結成します。
晋作は奇兵隊について、志がある者が集まる隊とし、身分に関わらず、力量を重んじることとしました。しかし、身分の区別は隊内の様々な面で実施され、例えば元治元年(1864)に藩が制定した袖印の様式においても、士分は絹、それ以外は晒布とされるなどの区分けがなされています。
身分を超え様々な人が集まった奇兵隊は、時に隊内や藩との間で様々な対立・問題を引き起こすこととなります。一方、彼らは下関戦争や幕長戦争、戊辰戦争などにおいて前線で懸命に戦い、長州藩の大きな戦力となりました