現在の企画展に関連して、旅や下関の名所旧跡についてご紹介する連載記事ですが、第4回目は、中世の下関の名所についてご紹介します。
以前にこのブログでふれた南北朝時代の武将今川了俊は、室町将軍の命令によって九州に向かう途中、長府や下関に立ち寄っています。
紀行文『道ゆきぶり』によれば、了俊は長門二宮と一宮(現在の忌宮神社と住吉神社)に相次いで参拝し、歌を奉納しました。
これから九州で戦いの日々を送ることになる了俊にとって、西方で軍事的な成果のある神功皇后や、皇后を導いて勝利をもたらした住吉神を祀る両社は、特別な存在に思えたことでしょう。
ちなみに、一宮を訪れた了俊は、本社(摂津国〔現在の大阪府〕の住吉大社)よりも素晴らしいという感想を書き残しています。
実は、この時了俊が参拝した一宮の本殿こそが、了俊来訪の前年に大内弘世によって造営され、現在も遺る住吉神社の国宝本殿なのです。
こののち阿弥陀寺(現在の赤間神宮)も訪れた了俊ですが、一宮や二宮に比べると、同寺の記述はあっさりとしています。
了俊にとっては、神功皇后ゆかりの一宮・二宮の方が、より心惹かれる名所だったのかもしれません。
了俊の来訪からおよそ100年後、室町時代を代表する連歌師として名高い宗祇が、長府や下関を訪れています。
宗祇の紀行文『筑紫道記』をみると、了俊と同じく一宮や二宮、阿弥陀寺などを訪れていますが、阿弥陀寺の記述が多くなっています。
宗祇は、阿弥陀寺で安徳天皇の像を拝観し、あわせて平家の人々の画像なども見て、安徳天皇や平教経に思いを馳せています。
宗祇ののちに下関を訪れた人々の記録をみると、阿弥陀寺に関する記述が増加していますから、阿弥陀寺が次第に下関の名所として定着している様子がうかがえます。
現在の下関には、多くの観光スポットがありますが、それらのなかには、長い年月を経ることで、じょじょに名所として定着したものもあります。
こうした観光スポットの歴史をたどりながら、下関の歴史にふれてみるのも面白いと思いますよ!