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「英雄」たちのこぼれ話(2)

2023-02-18 (Sat) 13:31
前回に引き続き、企画展で取り上げた「英雄」たちのなかから、源義経のこぼれ話をご紹介します。

義経といえば、しばしば天才的な軍略を駆使して平家を滅亡に追い込んだと語られます。

ところが、最近の研究では、義経が用いたとされる軍略のなかには、実際には別の人物が行ったものや、義経が命じたことが確認できないものが含まれていることが明らかになっています。

たとえば、一ノ谷の合戦のクライマックスとされるものに、「鵯越(ひよどりごえ)の逆落(さかお)とし」があります。

このエピソードは、平家が本陣を置いた福原の背後にあった急な崖を義経率いる軍勢がを駆け下り、平家に奇襲を仕掛けたというものです。

これについては、当時の記録に「多田行綱」という武将が山手から平家を攻めたと書いてあることなどから、義経ではなく行綱が実行したとする説が有力です。

それでは、なぜ行綱が実行したはずの奇襲が、義経の軍略によるものとして伝わったのでしょうか。

原因は複数考えられるのですが、その一つが合戦の情報の伝わり方だといわれています。

実は、義経は一ノ谷の合戦が終結したのち、治安維持のために京都に滞在しました。

当時、義経から合戦の模様を聞こうとした人々が、義経を招いて彼の話を記録していたことが明らかになっています。

これに対し、義経とともに合戦を指揮した兄範頼は、報告のために鎌倉に帰っており、範頼から話を聞くことのできた人々は、少なかったと言われています。

また、奇襲を実行した多田行綱はのちに没落しており、行綱の話を聞くことのできた人々も、少なかったと考えられています。

こうした情報量の差は、のちの記録に如実に影響しており、鎌倉時代の記録には、一ノ谷の合戦が義経一人の指揮で戦われたかのように記すものが生まれています。

以上のような経緯で情報が伝わるなかで、義経の働きが強調され、「鵯越の逆落とし」が、義経の軍略によるものとして伝わるようになったのではないか、と推定されています。

源平の合戦当時の合戦の実態については、よくわからないことが多いのですが、今後研究が進むなかで、新たな発見があるかもしれませんね。

 

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