今回は、現在開催中の企画展で取り上げた「英雄」たちのこぼれ話をご紹介します。
まずは、下関ゆかりの武将としては、おそらくトップクラスの知名度をほこるであろう源義経についてご紹介します。
源義経といえば、古来人気の高い武将で、その悲劇的な最期から「判官贔屓(ほうがんびいき)」という言葉が生まれています。
義経はドラマなどに登場することが多く、その半生についてもかなり有名なのではないかと思います。
ところが、義経の幼年期については、信頼のおける資料がほとんど残っていません。
義経の動向がわかるようになるのは、兄頼朝の軍に参加して以降のことで、源平合戦の初期の頃には、ほぼ無名の人物でした。
義経が源(木曽)義仲と戦うために京都に向かって来ていることを知ったある貴族は、日記に「頼朝の弟の九郎《名前は知らない》」と書いているほどです。
幼年期の義経については、南北朝時代〜室町時代に成立した『義経記』に詳しく書かれており、たとえば弁慶との戦いなど、現在伝わっている義経のエピソードの多くは、同書の影響を受けているようです。
ところが、『義経記』よりも早く成立した『平家物語』には、幼年期の義経に関する記述がほとんどなく、『吾妻鏡』には、義経自身が「あちこちを放浪した」と述べたことが載っていますが、具体的な話は載せていません。
こうした謎めいた半生が、義経人気の一端を担っているのかもしれませんが、義経は、どこでどのように成長し、平家を打倒する力を養ったのでしょうか。