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神へ捧げる和歌

2022-08-21 (Sun) 14:56
今回は、現在開催中の特別展「歌を詠む武士」で展示している重要文化財「豊浦宮法楽和歌」(忌宮神社蔵)に関するエピソードをご紹介します。
 
建武3年(1336)4月、京都周辺での戦いに敗れ、九州で態勢を整えた足利尊氏は、上洛に備えて長門国府(長府)に滞在していました。
 
東上にあたり、尊氏は当時長門国の守護であった厚東氏の手配で、串崎の船を御座船とします。
 
この船は、源平合戦の際に源義経を乗せた船頭の子孫の船と伝わっており、長門国府を発った尊氏は、5月25日には摂津国湊川で楠木正成や新田義貞を討ち破り、6月14日に入京しました。
 
その後、8月15日に足利方の豊仁親王(光明天皇)が即位し、10月には尊氏と対立していた後醍醐天皇が講和を受け入れ帰京しましたが、12月には後醍醐天皇が京都を脱出しており、2人の天皇が並び立つ南北朝時代が始まりました。
 
冒頭で名前を出した「豊浦宮法楽和歌」には、建武4年(1337)11月、尊氏が長門二宮(忌宮神社)に奉納した和歌が収められています。
 
尊氏は、西国に下向した折、「神宮(功)皇后之社壇」(忌宮神社)に参詣したところ、京都に戻ってほどなく世が静まったと、神功皇后の神徳に感謝し、歌を奉納すると述べています。
 
尊氏が歌を奉納した時点では、新たな戦いが始まっており、とても世が静まっているとはいえない状況でしたが、ひとまず尊氏は、かつて得た加護に感謝しているのです。
 
鎌倉時代後期に成立した仏教説話集『沙石集』には、「世の常の言葉であっても、和歌に用いて思いを述べれば必ず心を動かす」「神々の多くは歌によって心を動かされ、人の願いを叶える」などと記されています。
 
これらの記述から、当時の人々は、神仏が和歌を重んじ、和歌を通じて祈ることで願いが叶うと考えていたことがわかります。
 
「豊浦宮法楽和歌」には、尊氏のほか、尊氏庶子の直冬、尊氏弟で直冬の養父となった直義、足利氏の有力一門であった足利(斯波)高経の和歌が収められています。
 
現在、特別展では直義と高経の和歌を展示しています。
 
ぜひこの機会に、神へ捧げられた和歌をご覧ください。

また、博物館受付では、4人の和歌の写真が掲載されたパンフレットを販売中です。

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