慎蔵が、初めて取り組んだ武術は、今枝流剣術です。実父で、同剣術師範の小坂土佐九郎(おさかとさくろう)に弟子入りしました。
剣術修行と同時に始めたのが文学修養。儒学者の臼杵俊平に入門し、また、藩校の敬業館にも「童子」として通学を開始しています。「童子」とは、入学年齢に達していない幼年の者で、主に孝経・大学などの素読を行いました。
写真は「今枝流理学抄」で、同流剣術を修行する者の心得を記したものです。「文道不知而武道終不得勝利(文道を知らずして、武道終に勝利を得ず)」を基本とし、武道には文道(学問)が不可欠であることなどが、綴られています。
慎蔵は、この考えを念頭に置いていたのか、武術のみに偏重せず、文学の研鑽にも注力しました。萩に留学した際も、目的の宝蔵院流槍術の修行と併せて、文学修養に努めています。