皆様こんにちは!東行記念館です。
本日は高杉晋作の命日です。
東行記念館のある東行庵境内では、本日東行忌が行われました。
東行忌は、晋作の命日に合わせ行われている慰霊祭で、毎年多くの方が参列される行事ですが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、本年も規模を縮小しての開催でした。
今回は晋作の晩年と、現在開催中の企画展「高杉晋作、逆境に挑む」で展示中の資料「高杉晋作詠草」についてご紹介したいと思います。
幕長戦争の最中、慶応2年(1866)8月、晋作は肺の病の悪化によって戦線を離脱し、下関で療養生活に入りました。
同年10月には、櫻山招魂場(現在の櫻山神社)下に「東行庵(捫蝨処(もんしつしょ))」と号した小屋を建て、移り住んでいます。
現在展示室で展示中の本資料は、療養中に詠んだと考えられる詠草です。
晋作は療養中に送った父宛の手紙において、「私事もこの節は病気を慰せん為、少々和歌の稽古ども致し居り候」と述べており、和歌を詠むことで病苦を和らげようとしていたと考えられます。
晋作は慶応3年(1867)4月13日深夜に没しました。(命日は14日)
死の間際まで、農民の蜂起を気にかけ、山口へ行くとうわ言を呟き、藩の行く末を案じたといいます。
遺骸は遺言により吉田(下関市吉田)に葬られました。
現在、東行庵境内には晋作のお墓と晋作の親族や恋人のうの(梅処)の墓などがあり、晋作は家族とともに吉田清水山に眠っています。
当館にお越しいただき、晋作の生涯に思いを馳せていただければ幸いです。