みなさま、こんにちは!あっという間に4月になってしまいましたね!
新年度になり忙しい日々を送っておられる方もいらっしゃるかと思いますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
東行記念館では、常設企画展「高杉晋作、逆境に挑む」が始まって2週間ほど経ちました。おかげさまで、たくさんのお客様にご来館いただいております!
関連イベントとして企画しておりますミニ講座は、追加開催分もご予約が埋まりつつあります…!本日現在、ご予約お取り可能な回が5/15(土)の午後の部のみとなっておりますので、ご検討中の方はお早めにお願いします!
展示及びイベントの詳細は、東行記念館のページをご覧ください。
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さて、本日は展示の中からイチオシ資料をご紹介いたします!
今回ご紹介するのは「下関交戦新聞」です。
「下関交戦新聞」とは、オランダ人が記した第3次攘夷戦(文久3年(1863)5月26日の対オランダ戦)の状況を、長崎で翻訳した新聞です。本資料はその写しで、原本は、大村藩士の渡邊昇から晋作に送られたとされています。
文久3年5月10日以降、3度の攘夷戦で外国船を打ち払った長州藩ですが、6月には2度にわたる報復攻撃を受け惨敗…。
これらの戦いにおける、八組士(藩正規軍)の戦意の低さに対し、晋作は「又々、夷艦襲来すれば、防長は塵となる」と危機感を募らせました。
同年6月、晋作は下関防衛再編の藩命を受け、清末藩領竹崎(下関市竹崎)の商人白石正一郎邸で、奇兵隊を結成。同隊の初代総督に就任しました。
この資料をよく見ると中には「乃木文庫」の印が…!
こちらは皆様ご存じ、乃木希典の乃木家の印です。
本文の末尾には「乃木頼時」と書かれています。頼時とは希典と名乗る以前に、乃木が使用していた名前です。
本資料は、大村藩士渡邊昇から晋作に送られたとされ、のちに乃木希典が入手し、毛利(乃木)元智から長門尊攘堂へ寄贈されたものと伝わっています。毛利元智は、長府毛利家の人物です。
1つの資料から、様々な人物の群像が垣間見られるとても面白い資料です。
気になる方はぜひ、東行記念館へお越しくださいませ。