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近世の旅

2023-07-08 (Sat) 13:05
現在の企画展に関連して、旅や下関の名所旧跡についてご紹介する連載記事ですが、第5回目は、近世、つまり江戸時代の旅についてご紹介します。
 
第4回の記事でふれたように、織田信長や豊臣秀吉は、商業活動の妨げにならないよう、各地の関所の撤廃を進めています。
 
さらに、天下を統一した秀吉は朝鮮出兵を行いますが、兵員や物資の円滑な輸送のため、西国の交通整備を推進しました。
 
また、秀吉没後に天下人となった徳川家康は、江戸に幕府を開いたため、五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)を中心に、江戸に向かう東国の交通整備が実行されます。
 
この結果、日本の東西で交通環境が改善し、河村瑞賢による西回り航路の開拓などもあって、全国的に交通網が調えられることになりました。
 
これに加え、平和な時代が続いたことで、近世には旅行をはじめとした人の移動が活発化します。
 
近世には、中世以来の伊勢参りがよりいっそう盛んに行われていますし、旅を題材にした十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』が流行するなど、旅行は様々な人々にとって身近なものになっていました。
 
ただし、人々が自由気ままに旅行できたかといえば、そうではありません。
 
信長や秀吉は関所を撤廃しましたが、近世にも関所は置かれることになりました。
 
近世の関所では、中世とは異なり通行料は徴収されていませんでしたが、身元や旅の目的については、厳しくチェックされています。
 
諸所の関所を通過するためには往来手形(通行手形)が必要で、旅人たちは出発前に往来手形を取得しておく必要がありました。
 
また、旅先で宿に宿泊する場合にも、身元のチェックが行われています。
 
下関の場合、宿の主人が宿泊の身元や宗派を確認し、往来手形をチェックしたうえで、宿請証文が作成されました。
 
宿請証文には、宿泊客の身元等に不審な点がないことや、もし宿泊中に問題が起きた場合、宿の主人が責任をもつことなどが書かれています。
 
証文は、宿の主人から五人組の他のメンバーのもとに送られ、彼らが一筆書き加えたうえで、小年寄のもとに提出されました。
 
宿請証文を確認した小年寄は、証文の紙背(裏面)に一筆書き加えており、最終的に証文は大年寄のもとまで送られていました。
 
このように、近世には旅が身近になる一方で、幾重にもわたるチェックが行われています。
 
こうした制約がなくなり、自由に旅行できるようになるのは、明治維新を経て、近代になってからだったのです。
 

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