日清講和記念館
日清講和記念館の概要
日清講和記念館外観
日清講和記念館 耐震診断調査のお知らせ
日清講和記念館は、耐震診断調査を行います。
調査は、記念館の外側と内部の一部に足場を組んで行いますが、調査期間中も通常どおりご入館いただけます。
調査期間 1月9日〜1ヶ月程度(期間は前後することがあります。)
ご来館の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご了承くださいますようお願いいたします。
日清講和記念館概要
この記念館は、明治28年(1895)春、この地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12年(1937)6月、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館しました。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示しています。また、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子を紹介しています。
■草花文蒔絵硯箱
■フランス製のストーブ
■浜離宮から下賜された椅子
■再現した講和会議場
鉄筋コンクリート造、入母屋造、本瓦葺の記念館建物は、組物や懸魚(けぎょ)など細部に伝統的な意匠を用いて、威風ある外観を形成しています。これらの特徴が「造形の規範となっているもの」として評価され、平成23年(2011)1月26日、国の登録有形文化財に登録されました。
■インク壺とインクペン
日清講和会議

朝鮮半島の権益をめぐり対立していた日本と清国は、明治27年(1894)甲午農民戦争(東学党の乱)をきっかけに開戦しました。この戦争は日清戦争と呼ばれ、戦況は日本軍の圧倒的優勢に進み、翌年清国は日本に講和の打診を始めます。
明治28年(1895)3月19日、清国の講和使節団を乗せた汽船が関門海峡の沖合に停泊しました。翌日から下関の料亭春帆楼で日清講和会議が開催されました。この講和会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席しました。 講和に向けて会議はくり返しおこなわれ、4月17日に講和条約が調印されました。
下関が講和会議の地に選ばれたのは、日本の軍事力を誇示できる最適な場所であったからです。事実、日本の軍船が大陸に向かい狭い海峡を通過する光景は、清国使節団に脅威を与え、その後の交渉は日本のペースで展開したといわれます。
このとき調印された講和条約は下関条約と呼ばれ、清国は日本に朝鮮半島の独立承認・領土の割譲・賠償金の支払い等を約束しました。
ご利用のご案内
名称 |
日清講和記念館 |
所在地 |
〒750-0003 下関市阿弥陀寺町4番3号 |
開館時間 |
午前9時~午後5時 (年中無休) |
入館料 |
無料 |
お問い合わせ先 |
下関市歴史博物館 |
電話番号 |
083-241-1080 |
ファックス |
083-245-3310 |
アクセス
■公共交通機関
JR下関駅 |
長府方面行きのバス
(所要時間約10分)
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バス停
「赤間神宮前」
下車 |
徒歩1分
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日清講和
記念館
(春帆楼隣) |
■タクシー
JR下関駅 |
所要時間5分
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日清講和
記念館
(春帆楼隣)
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