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平成29年度 特別展示・企画展示スケジュール

特別展示
展示名称 会期(予定)
坂本龍馬没後150年記念特別展
龍馬がみた下関
平成29年10月14日~平成29年12月10日
特別展
朝鮮通信使-日韓の平和構築の歴史
平成30年2月3日~平成30年3月11日
※特別展示の観覧料は、別に定めます。
※展示名称は仮称であり、会期は予定であるため、変更する場合がございます。
 
企画展示
展示名称 会期(予定)
高杉晋作没後150年記念企画展
焦心録-晋作が翔けた下関
平成29年4月1日~平成29年5月28日
企画展 江戸の女子旅―女流文人田上菊舎 平成29年6月1日~平成29年7月30日
企画展 シーボルトと下関-日蘭交流の軌跡 平成29年8月5日~平成29年10月9日
企画展
戦国大名毛利元就-元就から元清・秀元へ-
平成29年12月16日~平成30年1月28日
企画展 幕末のメディアと下関 平成30年3月17日~平成30年5月6日
※展示名称は仮称であり、会期は予定であるため、変更する場合がございます。

焦心録バー


 

企画展「焦心録-晋作が翔けた下関-」

奇兵隊の結成、下関戦争の講和談判、功山寺決起、小倉口の戦いなど、下関を舞台に活躍した晋作。その華々しい活躍の源には、晋作の心を焦がす想いがあったのではないでしょうか。
本展は、高杉晋作没後150年を記念して開催するものです。節目の年に、改めて晋作の事績や想いを回顧するとともに、その舞台となった幕末の下関を紹介します。本展を通じて、晋作は何に心を焦がし焦がして生きたのか、彼の心情に思いを巡らし、幕末の下関をより深く知る機会としていただければ幸いです。

第1章 忠孝と狂―修養時代
下関における晋作の活躍の原動力を探るとき、「忠孝」と「狂」の精神が浮かびあがります。
萩藩大組士高杉家の嫡男嫡男として生まれた晋作は、祖父・父からの教えなどをなどを通し、主君(藩主)への忠義心と、両親への孝行心を強く抱いていきました。
また、晋作は師と仰いだ吉田松陰からも影響を受け、陽明学における、「狂」を意識するようになりました。「狂」とは、危機に瀕して、自らの生まれもった道徳的知覚力・判断能力に従い、なりふり構わず行動することです。
やがて、晋作は自ら「狂」を名乗り、忠孝を実現していく時代を迎える迎えることとなります。
主な展示資料  
萩城下古図 個人
高杉晋作肖像画写真 下関市立歴史博物館
高杉晋作所用文机 東行庵
吉田松陰自賛肖像(岡部本) 周南市美術博物館
随園詩話補遺 巻三 山口県立山口博物館

第2章 下関へ!―奇兵隊結成
文久3年(1863)6月、東行と号して萩に隠棲していた晋作は、萩藩主より山口の政事堂に呼び出されます。長州藩の攘夷実行に対する報復攻撃を受けた下関の防備再編を命じられ、晋作は下関へと向かいました。
従来の藩兵では防備が不十分と考えた晋作は、身分を問わず志ある者を集めた隊を創設します。藩の正規兵に対し、神出鬼没に動き敵を攻撃する隊として、奇兵隊と命名しました。
主な展示資料  
久坂玄瑞筆 長井雅楽断罪文 山口県立山口博物館
奇兵隊結成綱領 毛利博物館
農兵旗 個人
吉田松陰肖像 山口県立山口博物館
奇兵隊血盟書 毛利博物館

第3章 危急存亡のとき―決起
元治元年(1864)7月の禁門の変後、朝廷は「朝敵」となった長州藩の征討を決定し、幕府に命じました。窮地に陥った長州藩では、幕府へ対し「誠意恭順」の方針を決め、萩藩では禁門の変を主導した政府員らの更迭・粛清が行われました。
このような藩の方針に反対した晋作は、同年12月15日夜、功山寺で決起します。当初は同調しなかった諸隊ものちに呼応し、し、晋作の決起は藩を二分する内訌戦へと発展していきました。
中立の立場をとる萩藩士や、長府藩主・清末藩主などの調停により争いが鎮静すると、長州藩は幕府への恭順の姿勢をとりながらも武備を固める「武備恭順」で一致し、幕府へ対抗していく体制を構築していくこととなりました。
主な展示資料  
高杉晋作書状 杉梅太郎宛 山口市小郡文化資料館
高杉和助(晋作)ほか六名斬罪状写 岩国徴古館
毛利敬親肖像 山口県立山口博物館
回復私議 下関市立東行記念館
高杉晋作詩書 個人






 

第4章 新たな時代へ―小倉口の戦い
慶応2年(1866)2月、幕府から防長二国のうち10万石万石の取り上げなどの処分を通告された長州藩は受け入れを拒否。同年6月、大島口での戦いを皮切りに、四境戦争が開戦しました。。
6月7日付けで海軍惣督に任じられた晋作は、大島口、次いで小倉口の戦いに参戦します。晋作や奇兵隊、長府藩報国隊が参戦する小倉口では、征長軍と一進一退の攻防が繰り広げられました。しかし、征長軍の士気低下や将軍家茂の死去などにより、四境戦争は事実上長州藩の勝利に終わり、幕府の権威の失墜を決定付けました。
一方、小倉口の戦いの最中、体調不良を訴え戦線を離脱した晋作は下関での療養生活に入ります。療養中も小倉の戦況や藩の行く末、更には家族のことを案じた晋作でしたが、慶応3年(1867)4月、下関の林算九郎の離れでその生涯を終えることとなりました。
主な展示資料  
白石正一郎日記中摘要 個人
高杉晋作詩書扇面(展示期間4月1日~4月16日) 個人
長門だより 福岡市博物館
林家文書 家内行事録 個人
捫蝨処草稿 下関市立東行記念館








 
会期 平成29年4月1日(土)から
平成29年5月28日(日)まで
観 覧 料 一  般 100円(80円)
大学生等 50円(40円)
※( )内は20名以上の団体料金
※観覧料が無料となる方は、博物館案内でご確認ください。

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