皆さん、こんにちは!
今回も、現在開催中の企画展「元清と輝元」のオススメ資料をご紹介したいと思います。
今回ご紹介するのは、毛利元就の3男小早川隆景の手紙です。
この手紙は、毛利氏の家臣である桂広繁(ひろしげ)に宛てられたもので、隆景によれば、広繁は他の武将とともに、「当城」に攻め寄せた羽柴秀吉と戦って戦功があったといいます。
なお、手紙の冒頭に「当城」と見えますが、これは現在の岡山市北区にあった加茂(かも)城のことと考えられます。
この戦いの背景について、少し補足しておきましょう。
当時、毛利氏は備中国(現在の岡山県西部)などで織田信長との戦いを続けており、特に信長の重臣で、この方面を担当していた羽柴秀吉に苦戦していました。
秀吉は、計略によって毛利方の武将を次々に寝返らせており、広繁とともに加茂城を守っていた生石治家(おいしはるいえ)も、織田方に寝返ってしまいます。
最初の方に書かれている「生石依別心」は、この治家の寝返りを指したものと思われます。
広繁は、治家の寝返りに乗じて攻め寄せてきた秀吉の軍勢との戦いで奮戦しており、そのことを隆景から賞されているのです。
なお、広繁は毛利元就の4男元清を補佐しており、広繁の子孫は元清の子息秀元が興した長府毛利家の重臣として存続しました。
本資料は、毛利氏と織田氏の戦いの最前線の様子がわかる手紙です。ぜひ博物館で実物をご覧ください。