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近代の旅

2023-07-16 (Sun) 14:00
現在の企画展に関連して、旅や下関の名所旧跡についてご紹介する連載記事ですが、第6回目は、近代、つまり明治時代以降の旅についてご紹介します。
 
激動の幕末を経て明治時代が到来すると、社会構造や産業構造が変化するなかで、下関は大きな影響を受けることになりました。
 
近世に国内流通の結節点として繁栄した下関を支えた問屋業が衰退し、経済発展が一時停滞してしまうことになったのです。
 
しかしながら、蒸気船や鉄道などによる新たな交通網の整備によって、下関は新時代においても交通の結節点として機能し、経済面でも大きく発展することになりました。
 
とりわけ、明治30年代には、神戸―赤間関(下関)間の鉄道路線が結ばれるとともに、山陽鉄道株式会社が関釜航路を開いたことで、連絡船の発着場のあった下関駅の周辺は多くの旅客で賑わっています。
 
こうした近代の交通網の整備を背景に、大正末期から昭和初期にかけて、旅行ブームが起きており、全国各地で観光客誘致のための宣伝キャンペーンが行われ、誘客を目指した動きが活発化しました。
 
下関では、昭和初期に鳥瞰図で有名な吉田初三郎が下関や長府の鳥瞰図を描いており(いずれも現在当館で所蔵しています)、そうした鳥瞰図を用いた観光パンフレットが作成されています。
 
観光パンフレットでは、下関の名所旧跡をはじめ、さまざまな観光地が紹介されており、下関を訪れた旅行者たちは、パンフレットを片手に観光地巡りをしたことでしょう。
 
また、江戸時代以前からあった元日の恵方詣り(居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣すること)は、明治時代中期に鉄道会社が神社とのキャンペーンで遠方の有名神社に参詣する風習を作り出したことで、初詣に変化していったといわれています。
 
現在、下関の社寺は、正月から大勢の参拝客で賑わっていますが、こうした光景が見られるようになったのは、意外に最近のことのようです。

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