先日販売を開始した毛利ハンドタオルですが、せっかくなので、花押バージョンに採用した文書を簡単にご紹介します。
一番上から時計回りに
▼毛利元就書状 「元就公御消息」所収
年不詳5月5日 四郎(毛利元清)宛
▼毛利隆元書状 「毛利家御手鑑」所収
(永禄6年ヵ)6月4日 幸鶴丸(毛利輝元)宛
▼吉川元春書状 「元春公御手書」所収
年不詳2月24日 (毛利)輝元宛
▼小早川隆景書状 「毛利家御手鑑」所収
(永禄2年ヵ)5月2日 尾﨑(毛利隆元)宛
▼吉川元長書状 「毛利家御手鑑」所収
年不詳2月24日 (毛利)元清宛
▼毛利元清書状 「毛利家御手鑑」所収
年不詳10月14日
▼毛利輝元書状 「輝元公其他より秀元公光広公への御消息」所収
(慶長2年)6月17日 (毛利)秀元宛
▼毛利元政書状 「毛利家御手鑑」所収
年不詳4月19日 妙寿寺(周泉)・(毛利)元清宛
▼毛利秀元書状 「秀元公御手簡」所収
年不詳1月28日 毛利権三郎(元知)宛
▼毛利秀就起請文 「輝元公秀就公御誓紙類」所収
元和5年1月29日 (毛利)秀元宛
毛利一族同士の間でやり取りされた文書を多く採用しました。
毛利隆元の書状は、幼い息子幸鶴丸(のちの毛利輝元)に送られたものです。もうすぐ戦陣から帰還するため、直接会えることなどを伝えたものです。隆元が戦陣から幸鶴丸に送った書状はこの他にも遺されており、常に我が子のことを気にかけていたことがうかがえます。
しかし、この書状が送られたと推定されている永禄6年(1563)、隆元は我が子の成長を見届けることなく、41歳の若さで急死してしまいます。
↓毛利隆元書状
また、毛利秀元の書状も息子の権三郎(のちの清末藩初代藩主毛利元知)に送られたものです。権三郎からの新年の挨拶に返事をするとともに、「字の書きぶりがとりわけ見事である」と褒めちぎっています。我が子の成長を喜ぶ秀元の姿を垣間見ることができます。
↓毛利秀元書状
長府毛利家文書には、このほかにも父子や兄弟など毛利一族の間で交わされたものをはじめとして、たくさんの文書が収められています。
今後も展示などを通じて、その魅力をもっともっと発信していきたいと思います。
長府毛利家文書は、当館受付で販売している『下関市史 資料編IV』などで詳しく紹介されておりますので、興味がある方はぜひご覧ください!