開催中の企画展「戦争・疫病・災害~困難に立ち向かった下関の人々~」より注目資料をご紹介します。
こちらは、明治10年(1877)秋にコレラが流行した際、山口県が発した通達です。
明治10年9月、横浜の外国商館や長崎入港の外国船を発端に、明治時代最初のコレラ流行が起こりました。この時期に九州で西南戦争が終結し、征討軍が戦地から各地に帰還したことによっても感染が広まったと言われます。
山口県では、鹿児島や、横浜・長崎からコレラ発生の情報を受け、赤間関(下関)や三田尻など、多くの船が行き来し、外国の船も停泊することがある山口県では疫病の流行は必然であるとして、警戒を強めました。
本資料では、コレラ予防のため、山口県内において「諸遊芸興行禁止」を命じていたところ、流行が収まったので解除する旨が書かれています。現在コロナ禍により様々な行事が中止となったのと同様に、当時も興行中止の対策がとられたことがわかります。
この他、コレラは食べ物が主な感染源であることを受け、未熟な果物の売買禁止を布達した文書などもあり、当時の感染予防対策を知ることができます。