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東行記念館「脱隊騒動―奇兵隊、終わりのはじまり」見どころ紹介

2020-11-08 (Sun) 11:56
こんにちは。
立冬が過ぎ、いよいよ寒くなってきました。
東行記念館のある下関市吉田は盆地なので朝夕は市街地よりもちょっとひんやりとしています。
 
さて、東行記念館の企画展「脱隊騒動―奇兵隊、終わりのはじまり」が始まり1か月ほど経ちました。
ご来館の皆様からも「意外と知らない奇兵隊の歴史を知ることができ勉強になった」「考えさせられる展示だった」とご好評をいただいております。
 
そんな企画展から今回は「三浦梧郎書状」を紹介いたします。
そもそも脱隊騒動と呼ばれる事件がなぜ起こったのか、そのきっかけを知ることができる資料です。
 
本資料は明治2年(1869)10月28日、三浦梧郎が南野一郎宛に送った書状です。三浦、南野はいずれも奇兵隊の幹部隊士でした。
 
維新を経て、新たに発足した明治政府は、近代国家を目指して様々な改革を開始します。ところが、維新の中心となった山口藩(萩藩)は、大きな危機に見舞われていました。
奇兵隊をはじめとする諸隊が幕末の戦いを切り抜けるなかで数千人規模へと増大していたのです。これは当時山口藩の財政を大きく圧迫することになります。そこで、財政難などを理由に軍制改革に着手した山口藩は、諸隊の人員削減を進めることにします。
本資料では、藩政府側に立った三浦が、新しい軍(常備軍)のために諸手配を進めている様子や、諸隊が動揺するなか、隊士が除隊されていく様子が伝えられています。
 
 
三浦書状
 









「陣中も此間前より右之参り懸り
ニテ、沸騰いたし候得とも、
断然決極を仕申候、
五拾余退隊申付候」
 
【大意】
陣中は、このところ右の事情(常備軍の編成に向けた動き)によって騒然となっていますが、断固推し進めています、五十人余りの隊士を除隊させました、
 
 
そして、山口藩は、11月27日に諸隊を解散させ(遊撃隊を除く)、選抜した諸隊士で新たに常備軍を編成します。しかし、多くの者が選抜から漏れ、彼らの不満はピークに達します。その結果、これに反発した隊士たちは、脱隊兵となって山口藩と対立し、脱隊騒動が始まることとなったのです。
 
この後、脱隊兵たちと山口藩が迎えた結末とは…。
ぜひ展示室でご確認ください!
 
会期は12月20日(日)までとなります。お見逃しなきよう!

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