SHIMOHAKU Web Site
日清講和記念館
日清講和会議と春帆楼
明治27年(1894)夏、朝鮮半島の権益を巡って対立していた日本と清国の間で日清戦争が勃発しました。戦況は日本軍の優勢に進み、同年11月頃から清国は講和を模索し始めます。
明治28年(1895)3月19日、清国の講和使節団を乗せた汽船が関門海峡に停泊。翌日から下関の料亭春帆楼で日清講和会議が開催されました。
7回に及ぶ会議の末、4月17日に講和条約が調印されます。講和条約は下関条約とも呼ばれ、清国は朝鮮の独立承認、領土の割譲、賠償金の支払いなどを約束しました。これ以降、春帆楼は、歴史的会議の舞台としても有名になっていきます。
 



 


春帆楼古写真(日清講和記念館蔵)
日清講和条約が締結された明治28年(1895)4月17日、会議に参加した外務書記官井上勝之助の指示を受けて地元の写真師長尾実が撮影した写真です。この2枚は、春帆楼の玄関と調印後の部屋の様子です。
 



奉公偉績画巻 馬関ノ講和談判(下関市立歴史博物館蔵)


日清戦争開戦の主要な場面を画にまとめて明治30年(1897)に完成した画帖です。講和会議の場面では、春帆楼の2階大広間において両国代表が向かい合う様子が紹介されています。手前が清国、奥が日本の代表です。


 





絵はがき「下関 春帆楼 全景」(下関市立歴史博物館蔵)


昭和初期頃の春帆楼の写真を載せた絵はがきです。春帆楼は、下関市の名所の1つとして絵はがきにも多く用いられました。
講和会議が行われたのは、右手に見える建物の2階です。左手に見える3階建ての建物は、講和会議後に建てられたもので、伊藤博文によって聴潮閣と命名されました。
 




※本HPに掲載している資料画像の利用などについては下関市立歴史博物館にお問い合わせください。

戻る

(c)shimohaku