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常設展示
古代〜中世の下関
古代〜中世の下関
輻(や)の轂(こしき)に湊(あつま)り、語の咽(のど)に従うが如し長門関
畿内中心の古代国家整備の影響は、本州西端域にも及び、地域の政治的中心は山陰から山陽へと移りました。下関海峡に臨むこの地は、国内外のヒト、モノが盛んに行き交う要衝として重要視され、長門国府のほか、海陸交通の検察を目的とした長門関(下関)が置かれました。国司の管轄の下、軍団(豊浦団)により守護された長門関の廃絶以降も、赤間関の設置により、その地域的重要性は引き継がれました。さらに、古代から中世に時代が移るなかで、赤間関は武士たちの合戦の舞台として、あるいは東アジア社会のヒト、モノの交流の結節点として、その名を歴史に刻むことになるのです。
長門国府と周辺国衙 国府施設と山陽道駅館
長門鋳銭司と和同開珎 鋳銭司の設置と銅銭の鋳造
壇ノ浦の合戦と武家政治の展開 平家終焉の地
南北朝の内乱と守護たちの争覇 変動する社会
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