開催中の企画展「秋田寅之介と近代の関門海峡」より、おすすめの資料を紹介していきます。
今回ご紹介するのは、「日露開戦中軍需米輸送写真」です。
本資料は、明治37年(1904)に勃発した日露戦争中、軍用の米を輸送する秋田家の船を写したものです。
寅之介が秋田家に婿入りした翌年の明治27年(1894)、日清戦争が勃発。さらに、明治37年(1904)には日露戦争が起こります。
日清戦争の際、軍事物資の輸送は主として船で行われ、広島や福岡から送り出されました。これらの船の多くは下関・門司を経由し、関門地域の問屋は軍用食料の積み出しや占領地経営諸材料の輸送で多忙となりました。さらに、日露戦争時には、明治34年(1901)の山陽鉄道全線開通や船舶の増加などを受け、軍隊や軍事物資の多くが関門両市から積み出されるようになりました。
戦争によって商売が活発となった下関において、寅之介は事業を拡大させていきます。日清戦争時には、秋田家も食料や薪炭などの輸送・販売によって利益を獲得。戦争後には、寅之介が日清講和条約によって日本に割与された台湾へいち早く渡り、木材や雑貨の契約をとって成功を収めました。また、日露戦争時も食料や木材の輸送・販売が好調となり、秋田家の事業は飛躍的に増進しました。
そして、拡大させてきた事業を整理・統合し、明治38年(1905)、秋田商会が創立されることとなります。